夜道をホロ酔いで歩くのは何とも気持のいいことである。季節の節目は、気温が安定しないのだが、程よい冷気の中で、火照った体を落ち着かせる。
 恭介の家は、店から近くにあるということで、歩いて行くことになった。なったのだが、既に歩いている時間は三十分ほど経過している。基本的に徒歩で就職活動をしていた男である。感覚が大分一般のものとずれているようだ。焦れた美魚が、「あとどれくらいですか?」と聞いてみたが、「もう少しだ」との答えが返ってきた。その言葉は、十分ほど前にも聞いたものだった。
 美魚が立ち止まる。元々体力のない美魚が、一日中パチンコを打ち、更に酒まで摂取して、既に彼女のライフはゼロに近い。そんなことにも気付かない恭介は、訝しげに「どうした?」と聞く。
「疲れました」
「もう少しだ。頑張れ」
「具体的に、あとどれくらいの時間がかかりますか?」
「もうすこ」
「もう少しじゃなくて。あと五分ですか? 十分ですか?」
「ああ、たぶん、えーと、三十分ぐらい」
 絶望した。そのまま、近くにある電柱にもたれ掛かり、地面に座り込んだ。
「一休みしませんか?」
「いや、でも、もう少しだからな」
「恭介さんの感覚は田舎のおじいちゃんレベルです。近く、が一時間掛かるレベルなんておかしいです。主に頭がおかしいです」
「失礼な奴だな」
「普通の批判です」
 めんどくさ、という顔をしている恭介。へたり込む美魚。
 美魚の体力の無さは、高校時代から知っているし、半分引きこもりのような生活をしていただろうから、向上はおろか、低下していること間違いなし。溜息一つ。ここで休んだところで、たぶん、これからの道のりを歩いてもらうのは厳しいだろう。だからと言って、どうする。郊外にある現在の位置ではタクシーを拾うことは厳しい。そもそも車の通りが途中から一切無くなっているのだ。無理ですね。
「しょうがないなぁ」
 そう言うと同時に、美魚の前に座る。「乗れ」と一言。
「はい?」
「だから、乗れっての」
「まさか」
「そう。おんぶ」
「嫌です」
「なんで?」
「恥ずかしいです」
「誰もいないぞ」
「セクハラです」
「置いてく」
「変態の恭介さんのことなので、きっとわたしの太ももやらお尻やらを胸やら」
「じゃあな」
「えい」
「ぐお」
 恭介が立ち去ろうとしたのに焦ったのか、掛け声とともに美魚が恭介の背中に飛びかかった。まあ、酔っ払っているからしょうがない。
 一般男子として、女の子にいきなり抱きつかれるようなこのシチュエーションは、半端無いドキマギな状況になるところだが、そういうことには、悲しいながら妹のおかげで慣れてしまっている恭介は、そのまま美魚の太ももやらお尻やらをうまいこと抱え込み、おんぶの体勢をとる。
「じゃあ、お願いします」
「……おも」
「平均値より体重は軽いはずですが」
「冗談だよ」
「恭介さんの冗談は性質が悪いです」
 慣れましたけどね。耳元で囁く。落ちてしまわないようにギュッと腕に力を込める。あくびが出た。
「眠いのか」
「少し」
「寝てていいぞ」
「変態の恭介さんのことなので」
「あんまり言われるとへこむぞ」
「冗談ですよ」
「お前の冗談も十分性質が悪いな」
 慣れたけどな。空を見上げて呟く。月は雲にかかって見えない。街灯の明かりだけを頼りに歩く。流石に恭介でも言えなかったことがある。あんまり言われるとへこむぞ『お前の乳みたいに』なんて。背中に感じる胸の感触が一切ない。これは、鈴以下だな。嫌な汗が出る。美魚の将来を哀れみ、乳を哀れみ、でも、そういう需要だって確実にあるから頑張れ、と心の中でエールを送る。
 と、寝息が背中から聞こえる。美魚が寝てしまったようだ。なんだか、こういうの懐かしいなぁ、なんて思う。昔は背中に鈴を乗せて、横に理樹とか居て、前の方で真人と謙吾が喧嘩して。そんなことを懐かしむようになるなんて、その時は露とも思わなかった。それがずっと続く当り前のことだと思っていた。気づいたら、皆別々の道を歩いている。変化を求めたのは自分だ。それを皆が受け入れた。変わらない自分。変わっていく世界。めんどくさい。でも、俺以外普通に学生やってんだから、適当に集合掛けたら全員集まるか。なんてことで、考えを打ち切る。空では、月が少しだけ顔を出していた。
 途中、コンビニ寄りたかったのだが、気持ち良さそうに眠る美魚を起こすのは憚れ、見事にスルーして真っ直ぐ家に向かう。美魚の言ったとおり、確かに彼女は軽いので、苦しいとか思うことなくここまで歩いてこれたのだが、心配になるぐらいの軽さである。乳は言わずもがな。太ももにも、あまり肉はついておらず、女性特有のぷにぷに感が無い。極端なのだ。ガリガリからムチムチか。理樹の連れてくる女どもは。海に行った時、美魚は一度もパーカーを脱がなかった。無い乳を隠すためだったのか、泳げないからなのか、日焼け対策だったのか。その当たりは分からない。小毬、葉留佳、来ヶ谷あたりは堂々とその眩しいスタイルを露わにしていた。下手なグラビアアイドルよりもすげー、とか思ったのは秘密だ。クドリャフカについては、逆にすげー、とか思ったのは秘密だ。鈴はどうでもいい、とか思ったのはどうでもいい。
 と、くだらないことを考えている内に、家に着いた。三十分は言いすぎだったような気がした。やっぱりもう少しだったじゃねーか、という批判を美魚にしようとしたが、当の本人はぐっすり眠っているので、言わないことにした。ちなみに、ばっちり三十分掛かっているので、安心してほしい。
 流石におぶったままでは鍵を開けることはできないので、美魚を起こすことにした。背中で揺らしてみた。「んんー」と若干の反応があったので、西園ー、と呼んでみた。すぐに起きてくれた。このあたり、初期メンバーのバスターズにはない素直さを感じる。厄介な連中だらけだったなぁ、と今更ながら思う。目を覚ました美魚をゆっくりと降ろす。まだ寝ぼけているのか、美魚はふらふらしていた。
「これが、二日酔い……ですか」
「違うわ、アホ」
 鍵を開ける。
「汚い……」
「いや、まだ扉開けてないし。それに結構整理してるからな」
「負のオーラを感じたので。わたしが片付けるんですね。面倒くさい」
「だから、整理してあるっての」
 ほれ、と扉を開ける。確かに中は綺麗にしてあった。
 男の一人暮らしなのだから、汚くて当然、という考えがあった。恭介は別らしい。綺麗に整理されていた。ただ。
「まあ、なんというか」
「な? 綺麗だろ」
「確かにそうですけど」
「小まめに掃除してるんだ」
 棚に置いてあるロボットのプラモデルを手に取る。
「正に、オタク部屋……ですね」
 箪笥の上にはびっしりとプラモデル、あるいはフィギュアが所狭しと並んでいた。壁面の本棚には、漫画がびっしり詰まっている。考えてみれば、高校時代からオタクみたいなものだった。それが時間とお金を手に入れたのだ。こうなるのは必然だろうて。
「いや、オタクじゃねーし」
「その言い方が美しくないです。ていうか、キモイです」
「キモくねーし。つーか、西園だって本オタクじゃねーか。人のこと言えないだろ」
「はんっ」
「あ、鼻で笑いやがった」
「世間での認識として、わたしの場合は本オタクでは無くて本好きで片付けられますが」ビシィっと恭介を右手で指さす。「恭介さんの場合、キモオタ扱いされますから」
「指さすな。無性に腹が立つ」
「あ」
 珍しく、ポーズを決めるもんだから手が滑った。先ほどから持っていたプラモデルを思いっくそ落としてもうた。砕けるボディ。弾ける頭。
「お、俺のガンダムー!」
 恭介が叫ぶ。慌てる美魚。「俺がガンダム!」とか意味不明なことまで口走りだしたので、相当ショックだったのだろうと思う。大事なものを壊してしまった、という罪悪感。すぐに謝ろうとする。
「す、すいませんでした」
「なんつってー。スペアがあったりしてー」
 笑顔でスペアを差し出してくれた。やーい、引っかかったー、と小学生のように喜ぶ恭介。
「えい」
「ギャー! 目がー!」
 むかついたので両目に指をさしてやった。柔らかい感触がした。








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