1
時は199X年、ではなくて、午前七時頃。 棗恭介は、朝食にと目的地の近くにあるファーストフード店で朝のセットを頼んでいた。たまに無性に食べたくなるポテトなんかは、変な薬品でも入っているんじゃないかと疑ってしまう。ファーストフードの名前の通り、すぐに出てきた。すぐに食べ終わる。セットに付いていたコーヒーを啜り、煙草に火を着ける。最近覚えた煙草は、彼の容姿の所為か、やたらに様になる。煙を燻らせながら、持ってきた雑誌を開く。開店までには、まだ時間があるのだ。 「煙草、お吸いになるんですね」 一瞬、自分のことでは無いと思ったのだが、聞き覚えのある声に顔を上げる。そこには、高校時代の仲間が、先ほど自分食べ終わったセットと同じものを持ち、立っていた。 よっこいしょ、とおばさん臭い掛け声で恭介の正面の席に座る。ファーストフードで手を合わせているのを見ると、場違いな気がして少し笑える。それが顔に出ていたようで、何か? 睨まれた。マナーだと思い、とりあえず、煙草の火を消した。 「西園は吸わないのか?」 「一度吸ってみたことはあります」 冗談のつもりが、意外な答えが返ってきた。 「感想は?」 「最悪でした」 一生吸うことは無いでしょう、と続けた。優等生チックな雰囲気を持つ彼女が煙草を試していたことがあることに驚いたが、そこは年上として冷静に、止めておいたほうがいいぞ、格好をつけて言っておく。 美魚が食事を始めたので、雑誌に再び目を落とす。 無言で食べる美魚。二人の間には沈黙が流れる。朝から馬鹿騒ぎをするような連中もいない。それに今日は平日だ。店の多くを占めるのはサラリーマン達である。店内に響くのはBGMと、ジュースを啜る音くらい。ふと、美魚の食べる姿を見てみた。小さい口で一所懸命頬張っていた。それでも上品に見えるから不思議だ。 「何ですか?」 見つめすぎていたか。 「いや、なんでこんな時間にいるのかなと。大学はいいのか?」 「自主休講です」 サボりだった。 「恭介さんこそ、仕事はいいんですか?」 「んー、まあ。大丈夫だ」 実は、恭介は仕事を辞めていた。
社会に出ることは、非常に厳しいことだと思っていた。だが、自分の予想以上に社会というものは優しくなかった。つまらない大人にはなりたくないと常々考えていたが、そのつまらない大人になるにも努力が必要だということを痛感した。 世に言うブラック企業に就職してしまった恭介は、それでもなんとか半年ほど働いた。休みなく働いた。その末ぶっ倒れた。三日ほどで退院し、出社した彼が目の当たりにした現実は、自分の代わりはいくらでもいるということだった。別に必要とされたいと思っていた訳でもないし、歯車でも自分のやれることを頑張ろうとした。ただ、何のために働いているのか分からなくなった。妹からは援助を断られている。自立を果たしていた。守るべきものが減った。貯蓄は、残業代が半端無く出たのでたっぷりある。その日に、辞表を提出した。
「仕事、辞めましたね」 「うぐっ」 「ダメ人間ですね」 「ぐはっ」 「ニートですか。もう流行らないですよ」 「うわらばっ」 立て続けに図星を突かれ、まるで秘孔を突かれた様な叫び声を上げてしまう。はあはあ、と息絶え絶えである。なんとか逆襲しようと思うが、その前に話題を変えねば。昔から、彼女だけは読めない部分があった。このままでは自分のペースに持ち込めない。来ヶ谷のほうがまだ分かりやすい。 「あー、でだ、西園は学校をサボって何をしてるんだ?」 「……恭介さんには関係無いことです」 まさかと思うが。 「まさか、お前もあれが目当てか?」 その言葉に、美魚は目を逸らす。おいおいマジかよ、と恭介は思った。 恭介が指し示す先には、長い行列があった。それは、現在恭介が読んでいる雑誌に関係するものである。限定ものの何かが発売される訳でもない。時代の波に乗るためのニューアイテムの解禁日でもない。それは、紳士の社交場。それは、エンターテインメントの極地。それは、至高のギャンブル。言い過ぎた。 簡単に言うと、そこはパチンコ屋だった。終わってるね。 美魚はプルプル震えていた。先ほど恭介を攻撃したのは、全て牽制の為だったのだ。それが完全に裏目に出てしまったらしい。 「しょうがないじゃないですか……」 何かに耐え切れず、口を開く。 「大学に友達がいないんです。休日も平日もやることは無いし、本を読むにもお金が必要です。わたし、アルバイト無理なんです。面接で全部落とされてしまいました。どうしようもなくなって、ふと目についたのがパチンコ屋でした。何も分からず、座ってみて、周りの人の真似をして……そしたら、たくさん玉が出て。その後は、店員さんが優しく教えてくれて。その日、十万円勝ちました。こんな簡単にお金を手に入れることができるなんて。それで」 「待て待て待て」 一度制す。美魚は涙目だった。それはそれで結構かわいくて、写メに撮って待ち受けにしてもいいくらいの萌えっぷりだったのだが、一度冷静になってもらわないと話が進まない。それにこれ以上自虐的な嘗ての仲間を見たくなかった。 「友達いないって理樹達は?」 「わたしから連絡なんてとりません。というか、携帯電話の使い方が未だに分かりません」 「あいつらから連絡は?」 「来るには来るんですが、打ってて返事を返す余裕が……」 結果、わたしが無視してるような形に……。 恭介は頭を抱えた。美魚は結構いい感じにダメ人間になっていた。動機はどうあれ、現状が自分とそっくりだった。まるで、自分のことを聞いているようで、ちょっぴり嫌だし。 だが、これで違和感を覚えていたことが解決した。なんで煙草を試したりしたのか。美魚がどうして自分の席に積極的に座ってきたのか。久しぶりに友人に会ったからだ。喋れる人に会えたからだ。しかも、明らかに目的が一緒の人に。昔の美魚ならば、その後の展開なんて分かったはずだ。図星突かれて自爆なんてパターンありえない。ならば、かつてのリーダーとして、更にパチンコ仲間として、自分が面倒見ようじゃないか。 恭介は久しぶりにワクワクしていた。 「いいか、西園」 「はい」 「俺は今、かなりお前に近い状況にある」 「ダメ人間ですね」 「おい!」 「冗談です」 「冗談でもないから困る。とにかく、俺はお前と今後行動を共にしようと思う」 「なんでですか?」 「どうせ、お前、全然学校行ってないだろう」 「……」 「毎日パチンコ屋に行ってるだろう」 「……」 「最近の台は難しい。素人のお前が手を出すにはアシストが必要だ。更に俺も最近一人で打っていくのに限界を感じ始めた。だから、俺とお前で組んでこれからやっていこうじゃないか。ついでに携帯の使い方も教えてやるし、理樹達の近況だって教えてやる」 「はあ」 「だから、俺と一緒に来い。ノリ打ち軍団結成だ! チーム名は勿論」 「はい」 「リトルバスターズだ!」 なんだか、少年の日の心の中にいた青春の幻影を汚された気分です、と美魚が言う。だけど、その顔は先ほどの泣きそうな顔ではない。まあ、笑顔でもないのだが。思いっきり、呆れ顔である。その顔に、あの頃の彼女を見いだせただけで恭介は少し満足した。 そして、「しょうがないので、つきあいます」という言葉にイヤッホー! と叫び声を上げた。 店員に怒られた。
|