星に願いを






 朝っぱら、鈴に蹴飛ばされて目覚めた。鈴はまだ寝ている。理不尽な世界を呪う。額に肉と書いてやろうと思ったが、その後のことを考えると怖すぎるし、このまま鈴のアホ丸出しの寝顔を見ているのもなんだか嫌だし、外に出ていくことにした。
 こうなったらローソンの雑誌たちを読み漁ってやろうと、実にお金の掛からない、それでいて非常に人生に置いて無益極まりない行為に耽ることにした。
 つっかけを履き、ゾンビのようにフラフラと歩く。一人ゾンビごっこだ。なんだか楽しくなってきた。頭の中のネジがポポポーンっとこの時の僕は明らかに数百本はぶっ飛んでいたんだろうね。傍から見たらキモい人。もしくは変質者。周りの視線も気にならない。ていうか、回りに人が全くいない。フリーダムタイムをゲットしたことに気づいた。僕は今までに無いハイテンションまで登り詰めてしまっていて、脳まで酸素が回らない、一種の高山病に罹ってしまっていたのだ。つまり、脳みそが見事に働いていない、言うなれば脳みそニート地獄に落とされていた。そんな状況で正しい判断なんぞ出来る訳も無く。
「パパ!」
 そんな真っ直ぐ自分に向けられた幼女の嬉しそうな呼びかけに対して、ハイテンション僕の取った行動はというと。
「どうした娘よ?」
 ノっちゃいました。
 よーし、パパ肩車しちゃうぞー、わっはっは、と日曜日のホームセンターで見る素晴らしく家庭円満な家族のパパ風の対応をしてあげた結果、もっすごい懐かれて、そのまま家に連れて帰ってきちゃいました。てへ。
「お帰り願おうか」
 と、極道の妻っぽい返しをした鈴に顔面ハイキックを頂戴した。見事に人体の急所であるところの顎に炸裂。ついでに、股間を踏みつぶされて家中悶絶転がりの術をせざるを得なかった。



 既に二十歳を越えて大人の階段を色んな意味でも登った筈の僕は、廊下に立たされていた。水を入れたバケツを二個持って。学生時代ですらこんな罰受け無かったよ。あ、嘘。巻き込まれて一緒に立たされてわ。たは。
「楽しそうだな」
 たは。っと笑っている僕を見て一言。頭の上にもう一個バケツを追加された。首、折れてしまうよ。こんな表面張力でギリギリ零れないレベルに水一杯になったバケツを頭の上に乗せたら流石の僕でも首がポッキリいってしまうよ。逝ってしまうよ。こんなこと初めてだよ。そう思ったけど、恭介が考えた罰ゲームとしてこんなのあったなぁ、なんて懐かしんでいた。うふ。
「そうか。そんなに嬉しいか。じゃあ、水滴をおでこに垂らし続ける拷問二週間コースでいこう」
 どこでそんな知識を得たのだろうか。死ぬから。拷問とかそういう話じゃなくて栄養失調とかで死ぬから。
「あーんして食べさせてやるから安心しろ」
「やった!」
 喜んだ僕を見て、ローキックを脛にかました。バランスを崩して廊下に水がバチャーとなった。僕自身もずぶ濡れ。本当に家の外の廊下で良かったよ。鈴がご近所の目も気にしない大胆アグレッシブな女の子で今日だけは本当に助かったよ。心からそう思うよ。
「で? 幼女は?」
 鈴は、ふぅ、っと一息吐いて壁にもたれ掛かり、腕を組んで、それから髪をわしゃわしゃ掻いた。
「部屋でアイス食べながらキョースケと遊んでる」
 半開きになった窓から部屋の中を覗くと、膝に猫を乗せてアイスをむしゃむしゃ食う幼女の姿が見えた。萌えって言うのはこういうことを言うのかな。ハアハア。
「ハアハアすんな。なんだあいつは。誘拐か? お前は誘拐犯なのか?」
「違うよ」
「あたしが新しく開発した技、往復ビンタを味わいたいか?」
 開発とか言ってるけど、それ大昔からある技だから。
「知ってる」
 そうっすか。いやね、ローソンに行こうとしてたんだよ。知ってる? ローソン。日本一便利なお店のことだよ。説明するとね、「いらんわ」そうですか。
「パパって呼ばれた」
「誰が?」
「僕が」
「……それで?」
「オウ、娘よ! ってな感じに返した」
 僕の言葉を聞いて、もたれ掛かっていた壁からズルズル滑り落ちていく鈴。それから頭を抱えて、ブツブツ独り言を言いだした。小さい声で聞こえない。もう少し近くで、なんて言っているか聞いてみよう。抱きついて頬ずりしてみた。聞こえた言葉は、こんな内容だった。
「もぐか……」
「何をっ?」
「ナニを」
「日本語難しい」
「この浮気者」
「いやいや」
「もぎとってやる」
「ははは。ま、またまたー」
「またのたまだな」
「またたま!?」
 ガチャリと扉の開く音。僕の叫び声が聞こえたのか、心配そうな顔で幼女が顔を出してきた。
「どうしたの? パパ、いじめられてるの?」
「うん、そうだよ。でも、パパはいじめられると嬉しいタイプの人間だから心配しないでね」
 よしよし良い子良い子、と頭を撫でてあげると嬉しそうで、でも、くすぐったそうな顔をした。
「えへへー。ママもあんまりパパのこといじめちゃダメだよ?」
「ん? ママ?」
 鈴を見るとプイっと顔を向こうに向けた。それから唇を尖らして何やら息を吹き始めた。どうやら口笛を吹きたいようだが、めちゃくちゃ下手くそでヒューヒュー北風っぽい音だけがしていた。
 鈴の頭を両手で掴む。そして、グイっと無理矢理こちらに顔を向けさせると、焦った顔をしていた。その顔が可愛くて思わず接吻をしてしまった。その後、すぐに僕のセクハラにブチ切れた鈴が僕の頭を片手で掴んだ。気づいたら僕はアスベストっぽい壁に口づけをしていた。おやまあ、ビックリ。
「いじめたらダメ」
「お前がパパと呼んでいる肉はいじめられると喜ぶタイプの豚だから大丈夫だ。安心しろ」
 酷い言われようだな。流石の僕もそこまで言われたら……。
「パパ、本当?」
「本当だブー」
 親指を立てて、精一杯の笑顔で返事する。勿論、白い歯をキランと光らせることも忘れない。爽やかな好青年豚を演出してみた。
「僕の性癖はどうでもいいのだよ、ママよ」
「ママではない」
「ママー」
「ママって呼んでるよママ」
「ママではござらんよ」
「ママー」
「ママって呼んだ上に抱きつかれてますよ」
「えーい、鬱陶しい! くっつくな!」
「ダメ?」
「許す! かわいいから許す!」
「ママー。僕も抱きついていい?」
「死ね! キモい死ね! 五百回死ね! 何度も生まれ変わってからすぐ死ね!」
「あふん!」
 ゲシゲシと僕を足蹴にしながらの鈴様による罵倒で僕は昇天した。何度も生まれ変わって死んだ。僕の子種が。



 台所でパンツを洗っていたら、「汚物をそこで洗うな!」ってまた蹴っ飛ばされて、仕方が無く洗面所でパンツを洗い始めたら、「そこでゴミを洗うな!」って蹴っ飛ばされて、結局風呂場でゴシゴシと下半身すっぽんぽんでパンツを洗っていたら、「子供に粗末なモノを見せるな」って新しいパンツを赤面しつつ俯きがちに渡してくれた鈴に惚れ直した。そんな風にパンツ洗い職人の名を欲しいままにしていた僕の後ろをカルガモの子供のようにチョコチョコとついてくる幼女。あっちで猫と遊んできなさい。はーい。さて、どうしたものか。
「ママ」
「なんだパパ」
「この子、僕らの子供らしいんだけどさ」
「らしいな」
「生んだ覚えある?」
「無いな。全く無い」
「子作り行為には何度も及んでいるけどね!」
「う、うわああああああああ!」
「どうしたのー、パパーママー」
 鈴の赤面絶叫に反応して部屋で猫に関節技を決めて遊んでいた幼女がとてとてと近づいてきた。超純真無垢ピュア100%のぱっちりお目々で見つめられると抱きしめたくなるのはどうしてだろう。僕はロリコンなのだろうか。恭介の病気が今更うつったんだろうか。鈴を見ると胸の奥がキューンと締め付けられて、抱きしめたくてしょうがないよ夏、って顔をしていた。そして抱きしめていた。こういう時、女って得だな。マジで羨ましい。僕がやったら犯罪者扱いされてしまうので、そこは鈴を抱きしめることで事なきを得た。僕の身体は無事では全く済まなかったのは言うまでも無い。そのダメージを快楽に変えたのも言うまでも無い。再び、パンツを洗う作業に戻ることになってしまった。本当に鈴はテクニシャンだ。全盛期のピクシーに勝るとも劣らない。
「ストイコビッチだよ!」
「誰がビッチだ!」
 一部だけ切り取られて、悪口として受け取られたようだ。
「いやいや、あのね」
「うるさい。二億年寝てろ。そんで起きた時にぼっちになってて孤独死しろ」
 段々死に方が回りくどくなってきたなぁ。
「あんまりパパのこといじめちゃダメだよ?」
 幼女の一言で鈴が鼻血を出して倒れた。えー。
「あたしは普通だと思ってたんだがな。お前らとは違うんだと言い聞かせていたんだ。でも、かわいくてたまらないんだ。幼女最高」
「それが鈴の最後の言葉だった。完」
「終わらせるな、ってツッコミ入れて欲しいんだろ。ベタだな。全くお前は昔からベッタベタだな」
「ベ、ベタとか言うなよ! 昔からとか言うなよ! 一番傷つくわ!」
「理樹、好きだ」
「僕も好きだ!」
 抱きついた。蹴飛ばされた。理不尽な世の中に泣いた。



「えー、では、第一回家族会議を開催します」
「おー」
「わーい」
 会議のおつまみにと冷凍のシュウマイをチンして、卓袱台を三人で囲む。
「そもそも、こんなこと聞くのもアレだけど、ていうか超今更だけど」
「お、これうまいな」
「あ、カラシとって」
「ほう、なかなかシブい嗜好してるな」
「子供だと思って甘くみないでよ」
「偉そうに、このやろ」
「あははー、やめてー」
「聞けえええええええええ!」
 僕は叫びながら卓袱台を掴んだが、ひっくり返したらシュウマイ吹っ飛んでしまうということに瞬時に気づき、さっと手を離した結果、見事なエア卓袱台返しになった。うるさいと蹴っ飛ばされるかと思ったけど、シュウマイに夢中で僕の空振りにすら気づいていなかった。皆にとってのエアは卓袱台返しじゃなくて、僕自身だったという落ちだった。泣きそうになったけど笑った。きっとその方が気持ちも晴れるから。ふふふ。あれ、雨が降ってるな。おかしいな部屋の中にいるのに。
「理樹」
「な、なにかな? 僕のポーズがおかしいかな? 気づいた? 気づいてくれた?」
「シュウマイ冷めるぞ」
「そうだね……」
 僕はシュウマイを食べた。一つ食べておしかったので二つ目も食べて、そのまま皿ごと持って口の中に流し込んでやった。
「アホ! 全部食うやつがあるか!」
「うわーん」
「うるさい! シュウマイじゃなくて僕を見てよ! 僕の顔を食べなよ!」
「食えんわ」
「こし餡だよ!」
「脳みそ無いのか」
「こし餡風脳みそ!」
「それは厳しいものがあるよ」
 とは幼女談。幼女とか呼んでたけど、そもそもこの子名前はなんというのだろう。それを聞こうとしたらシュウマイうまいみたいな話をしてて無視されてエア卓袱台返しやるはめになったのだ。
「あのさ、君の名前教えてくれないかな?」
 僕はそう優しい笑顔を携えて尋ねてみたのだが、対して幼女は「断る」と格好良く拒絶したのだった。
「なんで!?」
「名前は言うなって言われた」
「誰に?」
「恭介に」
 恭介とか言い始めた幼女に僕たちは唖然とした。彼は死んだのだ。バス事故の生存者は僕たち二人だけ。精々五歳と言った彼女が恭介という人物を知りえるはずが無い。鈴は動けないでいた。なんだかんだでお兄ちゃん子だった、兄しか頼るものがいなかった鈴にとって、他人の口から出る恭介という単語はとても大きな衝撃を与えたのだろう。少し腕が震えていた。
「恭介とどこであったの?」
 戸惑いながらも僕は幼女に問うた。知りたかった。また会えるのかもしれないという淡い希望にすがりつきたかったのかもしれない。何年経ったってきっと忘れることなんて出来ない。吹っ切れたなんて口では言っても、無理なんだ。僕たちにとって、恭介はあまりに大きい存在だったから。鈴はまだ動けないでいた。
「それも言えない」
「なんで?」
「言っちゃダメって言われた」
 そんな答えなんて求めていない。教えてよ。頼むよ。ダメなんだ。
「教えろ! 教えろ! 教えろよ!」
 鈴は、顔を蒼くさせて幼女の肩を掴んで、グワングワン幼女を振り回しながら懇願した。「いいいだあああいいいいよぼぼぼぼ」と幼女が扇風機に向かって声を出した時みたいな感じになりながら言うと、鈴は手を離した。力無く項垂れて、ゴロゴロと畳の上を転がり、それに飽きると布団を敷き始めた。
「鈴」
「なんだ?」
「なんで布団を敷いてるの?」
「寝る」
 まだ昼だというのに、鈴は寝る準備を始め出した。僕と幼女はその姿を見守った。布団を敷き終えると、そのまま中に滑り込んでいった。更に見守っているとゴソゴソし始めたので、なんだなんだと思っていると、ジーパンが飛んできて僕の頭に覆いかぶさった。いい匂いがしたので、そのまま被った。鈴の股の匂いを存分に嗅いでいると側頭部に物凄い衝撃を受けた。なんだなんだと思って名残惜しみながらジーパンを取るとパンツ姿の鈴が仁王立ちしていた。ジーパンを僕の手から奪い取り、それを洗濯機に放り込んで、また布団に戻っていった。
「仲、良いね」
 ポツリと僕達を見守ってくれていた幼女が呟いた。僕は蹴っ飛ばされた部分を撫で撫でしながら「そう見える?」と聞くと、満面の笑みで「うん!」と答えた。
 ふう、と息を吐く。鈴は寝ている。小さな寝息が聞こえてくる。
「ねえ」
「ん?」
「本当に僕達の子供なの?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「恭介がそう言ってただけだから」
 また恭介だ。
「ひとつ言っておくけど」
「うん」
「恭介死んでるよ」
「知ってる」
 知ってるのか。うん、頭悪い子だな、この幼女は。どうやって会ったちゅうねん。もういい加減幼女って呼ぶのもかわいそうだな。あだ名でも付けてあげよう。卓袱台の上の空の皿が目に入った。決定。
「君は今からシュウマイだ」
「シュウマイ好きだよ」
「僕は君のことシュウマイと呼ぶ。オッケイ?」
「おっけー」
「じゃあ、質問」
「はいはい」
「どこから来たの?」
「学校」
「どこの?」
「学校はひとつしか無いよー」
 んんんん?
「じゃあ、歳は?」
「四歳ぐらいにしとくか、設定。って恭介は言ってた」
 設定かよ。あと、語尾にニャンとか付けたら最高だな、とも。本物!?
 シュウマイは目を閉じて俯いた。なにか悩んでいるの、シュウマイ。シュウマイ。シュウマイ食べたくなってきたな。そういえば、まだ冷凍庫に残っていたような気が。何事かを考え中のシュウマイを放置して、台所に向かう。そして無くて凹んで肩を落としながら居間に戻るとシュウマイは居なくなっていた。えー、イリュージョンっすか? マジっすか?
 と、思ったら布団の中から顔を覗かせた。
「えへ、ママと一緒のお布団」
 ふかふかー、と鈴に抱きついている。鈴は顔を歪ませたが、すぐに元の安らかな寝顔に戻った。こうしちゃいられねーと僕も布団に潜り込むどころか、滑り込んでやった。丁度、僕と鈴でシュウマイを挟む、つまりはシュウマイバーガーが完成した。なんだかムラムラしてきたが、子供が見ている前では僕は紳士になる男とご近所でも評判なので、持て余した情動を慈愛に変換させ、シュウマイの頭をゆっくりと撫でることで体外へと放出させた。シュウマイは気持ち良さそうに僕に撫でられる。気づけばシュウマイからも寝息が聞こえた。すやすや寝ている二人を見ている内に僕も眠たくなってきた。流れに逆らわずに僕も寝ることにした。



 とっても真っ暗な夜。僕ら三人は手を繋いで空を見上げていた。街灯の無い、広い広いグラウンド。懐かしい土の匂い。僕らが勉学に励んでいた校舎を背に、三人でぼんやりと。シュウマイが僕の手を離して空を指さした。その指の示す先を見る。いっぱい星があって、どれを指してるかさっぱり分かんね。マジ無理。
「あれが北斗七星」
 そう言われてよく見てみると、それっぽい星があるような無いような。よく分かんね。
「ユーはショックだな」
「愛で空が落ちてきそうだね」
 どうやら鈴もどれが北斗七星か分からずに、それっぽいことを言って誤魔化そうとしたらしい。
「その隣の赤い星にいつもお祈りしてたの。パパとママに会えますようにって」
「死兆星見えとる!?」
「あ、あれか! あの赤い星だな! たぶんそうだ。それなら分かるぞ」
 ふふん、と偉そうに胸を張る鈴。だけど、見えたらもうすぐ死んでしまうからね。そういう時にしか見えない星だからね。
「どうやら理樹は分かってないようだがな」
 誇らしげだ。僕に勝ったと思っているらしい。どちらかと言うと見えたら人生ゲームとしては負けなんだけど。途中リタイアなんだけど。ちなみに僕もチラッと妙にキラキラ自己主張の激しい赤い星が見えたような気がするけど、それは気のせいだ。気のせいなんだ。
「願いが叶っちゃった」
「嬉しいか?」
「うん」
 笑顔で答えるシュウマイはとてもかわいい。かわいいシュウマイだ。かわいいので撫で撫でしてあげた。えへへー、とくすぐったそうに笑った。僕も笑った。鈴も笑った。
「ここがあたしの住む世界」
 シュウマイの声のトーンが変わる。僕の手をもう一度握る。今度はさっきよりも強く、ギュッと。だから、僕も少しだけ強く握り返した。
「会わせてあげたかったから。でも……」
「誰に?」
 僕は期待していた。ここが現実じゃないことも分かっていた。気づかない振りをしていた。そうしないといけない気がしたから。
『二人とも、俺に会いたかったか!』
 声が頭に響く。懐かしくて、憎たらしい、僕たちの大好きなあの声が。でも、どこから?
「……おい、あれ見ろ」
「は?」
 鈴が空を指差した。
「うわぁ……」
「あれは無いわぁ……」
 そこにはでっかい恭介が上半身だけ浮かんでいた。薄ら透けている。笑顔で手を振っている。気持ち悪いから無視した。
「何も無いよ」
「すまん。何も無かった。それにしてもキショイ空だな。曇れ」
『あああああ』
 鈴の願いが通じたのか、空が曇った。これで一安心。
「残念だ。星が見えなくなってしまった」
「本当に残念だね」
「あうー、恭介ー」
「恭介? 誰だそれは?」
「知らない。でかくて上半身しか無くて薄ら透けてる人なんて知らない。超知らない」
「だから普通に出てきてって言ったのにー」
「じゃあ、あたしたちは帰るけど、お前は皆と仲良くやれよ」
「まあ、心配することも無さそうだけど」
 あうあう、言いながら手で空を扇いで雲をなんとか動かそうと懸命に動いているシュウマイを見れば心配の必要も無さそうだ。
「ちょっと待ってー。まだ感動の対面がー」
「あー、もういい。なんか相変わらずだったな」
「何かやらないと気が済まないんだろうね」
「それで何回痛い目見てるんだ。いい加減学習しろ」
「今更学習しなくてもいいんじゃない?」
 死んでるんだし。
「それもそうか」
「恭介にはあのままでいてもらおうよ」
 ずっと変わらない。学生の恭介で。僕たちの代わりに変わらないままで。
「夕飯何にする?」
「カレー」
「じゃあ、スーパー行かないと」
「うわーん、夕飯の話しだしたよー」
「なんかこういうのも変かもしれないが、元気でな」
「また会おうね」
「うえ、あう……うん」
 僕は頭を撫でる。鈴はギュッと手を握る。僕たちの温もりを少しでも覚えておいてほしい。
「大丈夫。鈴には僕がちゃんと子種を」
「死ね」
「シンプル!」
 シンプルな言葉とシンプルな蹴りの究極のコラボによって僕の意識はぶっ飛んだ。気絶する瞬間、そもそもこれ寝ている状態の話なのに気絶とかおかしくね? と冷静に考える余裕を持てた自分を褒めてやりたい。ゆっくりと闇に染まる視界。
 さよなら恭介。みんな。僕たちは結構元気にやってるから心配しないで。
 そう叫んで伝えたかった。シュウマイが食べたくなった。



「おはよう」
「こんばんは」
 朝の挨拶をする鈴に対して、既に夕方を通り越して真っ暗になった外を見ていた僕は夜の挨拶を返した。カレーを作ろうと思ったけど、この時間にスーパーまでわざわざ出歩いて、材料を買いに行くのも億劫だったので、中止。代わりに冷凍庫を漁ると、冷凍チャーハンの下にシュウマイが一袋残っていた。まだ寝ぼけている鈴には聞かずに、勝手に調理を始めた。まず皿を用意する。その上に冷凍シュウマイを転がす。ラップをかける。レンジでチン。出来上がるまで時間が空いたので居間へと戻った。
 鈴は窓を開けて、網戸も開けて、空を見ていた。住宅街のこの辺りは街灯も多く、星なんて相当明るものしか見ることが出来ない。それでも、僕は鈴が星を見ているように思えた。話しかけずにテレビを点ける。クイズ番組がやっていた。つまらなくてチャンネルを変えた。もっとつまらなくて電源を消す。僕も鈴の後ろから空を覗き見る。真っ暗だった。レンジが甲高い金属音で完成の合図を告げた。
「またシュウマイか」
「またシュウマイです」
 匂いで気づいたらしく。僕は答えながら台所に向かった。冷蔵庫から取りだした缶ビール二本と皿に盛られたシュウマイを持って居間に戻る。卓袱台に置いて準備完了。まだ空を見ている鈴の首筋にビールを当てると「ひあっ」と飛び上った。それから不機嫌そうな顔で僕の手からビールを奪った。
「乾杯しよう」
 僕の言葉を無視して、鈴はプルトップを引っ張って開けて一気に口の中にビールを流し込みだした。僕も大人しく一人で「かんぱーい」と缶を天に掲げた後、グビグビと飲み込んだ。シュウマイも一つ食べた。おいしい。おいしいよ、と鈴に言ったけど無視された。
「なあ」
「にゃに?」
 口にシュウマイを入れたまま答えたので変な感じになってしまった。
「星、見に行こう」
 鈴はいつだって唐突だ。
 僕は答える代りに缶ビールを一気に飲み干した。



 校門をよじ登る鈴。それを後ろから見ていた。
「早く来い」
 そう言われたので、僕は校門を開けて入った。
「おま、お前、お前ええええええ!」
「え、何?」
「なんか、あたしの立場が無いだろうが!」
 なんでよじ登ってんの? って思いながら見てました。
「静かにしてよ。人来ちゃう」
 僕たちは夜の学校に忍び込んだ。理由は、星を見るため。小学生の時、天体観測をするために夜の学校に行ったことを思い出して、星を見るなら学校だろう、という結論に至った。通った覚えも無い近所の小学校。グラウンドがとても狭く感じた。僕が大きくなったからだろうか。それともこの学校が小さいのか。それは分からない。そもそも初めて入るんだから分かってたまるか。
 小さいながらもグラウンドの一角にはホームベースが埋め込まれていて、その近くにはこんもりとした小さなマウンドもあった。僕たちは、誘われるようにマウンドの方に歩いていく。家の周りよりかは幾分かマシだが、結局山とかに行かい限り明かりの無い場所なんて無いらしい。
 手を繋いでマウンド上に立つ。空を見上げても、あの時みたいに満天の星空とはいかないみたいだ。まばらに見える小さな星の光が降り注ぐ。あれが北斗七星だろうか。さっぱり分からん。
「無いな。赤い星」
「そうだね」
 北斗七星の傍らに寄り添うように輝いていた赤い星は、僕たちの世界では見えなくなっていた。そもそも僕は北斗七星すら見えていなかったりするんだけどね。鈴には見えたんだろうか。野暮なことは聞かない。
「あ」
 と、二人同時に声をあげた。きらりと一筋、流れる星の光が見えたから。流れ星が消えるまでに三回願い事を言うと願いが叶うとかなんとか。そんな迷信を、信じてはいないけど僕は、一つだけお願いをした。
「何か願い事したのか?」
「うん」
「どんなだ?」
「言ったら効果が無くなりそうじゃない?」
「具体的に言わなければ大丈夫そうじゃないか?」
「伝言」
「しょぼいな」
「なんだかそのまま言葉を届けてくれそうな気がしない?」
 空を渡る光なんだから、そのまま空の向こう側に届けてくれそうな気がした。叫べなかった言葉。伝えたかったこと。
「鈴は?」
「モンペチ一年分」
 鈴は迷信を信じるロマンチスト且つ、家計を考えるリアリストでもあった。複雑すぎる。
「叶うといいね」
「そうだな」
 と、綺麗にまとめようとしたところで警備員に見つかったのでダッシュで逃げた。
 帰って寝た。



 翌朝、鈴に蹴飛ばされて目が覚めた。頭をぽりぽり掻きながら、台所へ向かう。冷蔵庫を漁り、ペットボトルのお茶を一気飲み。ぷはーっ、と息を吐くタイミングでチャイムが鳴った。宅急便でーす、という声が聞こえたので、判子を持って玄関に向かう。大きな段ボールを一箱持ったお兄さんが立っていた。見ると鈴宛ての荷物だった。受け取ると、まいどー、と颯爽と去っていった。
 勝手にガムテープを取り、箱を開ける。プライベートなんて知ったことかー。
 中身を見てギョッとした。モンペチが箱の中いっぱいに敷き詰められていた。紙が一枚入っていた。
『おめでとうございます! モンペチ一月分!』
 中途半端だなぁ、と思った。








inserted by FC2 system